「コミュニティ活動に取り組む意義」が見えにくくなる世界で

数年後の答え合わせに向けて
2023年12月16日 by
「コミュニティ活動に取り組む意義」が見えにくくなる世界で
Yoshi Tashiro (QRTL)

少し前につらつらとツイートしたものをこちらに転記。

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ここしばらく感じていること。分かる人には分かるが、分からない人には全く分からない類の話。ここ数年Odooはプロダクトとしても会社としても急速に進化している。それはそれで好ましいことなのだが、その裏返しで「コミュニティ活動に取り組む意義」が見えにくくなっている

Odooがまだ小さくて未成熟のころは不足分を補うために否応なしに自分たちでなんとかしなければならない場面がたくさんあった。というかそんな場面だらけだった。そんな状況でコミュニティで協力してソリューションを作るアプローチを取ることにはわかりやすい合理性があった。

そしてコミュニティでの貢献することがマーケットでの認知獲得に繋がりやすかったと言える。プロダクトが成熟しOdoo社から(特にビジネス側から)の情報発信が増えると、相対的にコミュニティ活動が見えにくくなる。そんな中でこれからコミュニティ活動をしていこうというプレイヤーが出てくるのか?

今の流れからすると日本で出てくる気が全くしていない。これではたして長期的にOdooのエコシステムが発展・維持できるのか。Odoo社としては企業版ライセンスをより販売するパートナーを持ち上げる。これは以前からそうではある。

違ってきているのはマーケットへのOdoo社の影響力。これが強まると、パートナーの事業戦略としては以前にましてOdoo社の「方針」に乗っかるのが正しいことになる。つまり、ライセンスを多く売ってシルバーやゴールドパートナーになることが自社ブランディングの大きな要素になりうる。

だがここにはユーザにとっての視点は欠けている。Odooのパートナープログラムのゴールドやシルバーといったランクは実態として一定期間内にライセンスをどれだけ売ったかにより決まるもので、決してサービス品質を保証するものではない。こんなこと言うとOdoo社の人に嫌われるが、そうだ。

だからユーザにとっては自社のランクを錦の御旗のように前面に出してくるパートナーには注意した方がよい。本当に優れたインテグレータは、ユーザ視点ではパートナーランクが不完全なKPIに基づくものだと分かっているから、あまりここを前面に出すことはしない。

10年来Odooをやってきて、ユーザにとってよりよいサービスを提供するためにはコミュニティ活動が不可欠だという思いは強まっている。OCAでコミュニティの叡智にアクセスできるメリットはかなり大きいし、OCAのやり方とズレたことをしていると、結果として高くつく。

Odoo本体に不具合があるときにはGitHubレポジトリやTransifexで修正活動を行うべきだし、標準機能で対処しきれない状況があるときは、基本、コミュニティの中でのソリューション構築を模索するのが、ユーザ視点に立つと最も合理的だ。

コミュニティによるレビューや保守サポートを受けない中での実装は、往々にしてオレオレ仕様で保守上の問題が発生する。他社から引き継いだプロジェクトは例外なくそうだし、自分の昔のプロジェクトを振り返ってもそう。このことはバージョンアップをいくつかこなすと身にしみて実感する。

ではなぜ多くのOdooパートナーがコミュニティ活動に参加せずに、自分たちに閉じた場所でソリューション構築してしまうのか?これはおそらくユーザ視点が欠けている(もしくは優先していない)か、参加するための要件(技術面、言語面)がクリアできないかのどちらかにつきると思っている。

前者については、OSSプロダクトではなくプロプライエタリのプロダクトを担いでやってきた事業者にとっては、残念ながらこれが普通だ。Odooを始めた理由が「OSSだから」より「売れそうだから」に寄っているパートナーは軒並みこのパターンだろう。

そしてそういうパートナーがなにかのきっかけでこのユーザ視点に気づいたとして、コミュニティ活動に参加しようとしてもそれなりの学習コストはかかる。日本のITサービス業界の土壌的に、これらを乗り越えてコミュニティ活動に取り組むプレイヤーは出てきにくい。

コミュニティ活動に全く参加しないパートナーであっても、コミュニティ活動の成果の利用はしている。例えばうちではなにか機能が必要なときにはまずOCAモジュールを検討することを推奨しているが、これは程度の差はあれ多くのOdooパートナーで採用しているプラクティスだ。

でもほとんどのパートナーはOCAモジュールを利用するだけでその改善活動や保守活動には関わっていない。要はフリーライドしている。ユーザに使ってもらうのはもちろんウェルカムなのだが、事業者がOCAモジュールを使って収益を得ているにもかかわらずコミュニティ活動に参加しないのはいかがなものか。

コミュニティ活動を積み上げてきている事業者とフリーライドしているだけの事業者では、明確に実力に差が出る。自動車を運転できる人が自動車を作ったり修理したりできるわけではない。この差は、ユーザとしても意識して見ていないとわかりにくい。情報の非対称状況が出やすい部分だ。

だから同じOdooパートナーというくくりであっても、コミュニティ活動に参加する事業者とそうでない事業者は水と油みたいに違う。サービス品質は理屈では前者の方が高いはずだ。だが前者はその実力ゆえにOdoo企業版に頼らずともコミュニティ版をベースにまっとうなサービスが提供できる事業者でもある。

そうすると現状のOdoo社のパートナー評価の仕組みからすると、前者よりも後者が評価されやすく、ある意味ユーザ視点からは逆向きの結果となってしまう。この点に関しては情報の非対称性が助長される仕組みになってしまっていると言わざるを得ない。

だから最近の傾向を見て、もっとコミュニティ活動を推進したり知ってもらったりするための情報発信をしていくべきなのだろうなと感じている。放っておいたらコミュニティ活動がどんどん埋もれてしまうことを危惧している。それはOSSプロダクトとそのエコシステムの緩やかな死を意味しないか。

まあそれでもOdooはプロダクトとしてしばらくの間は成功するのかもしれない。だけど、コミュニティ活動が萎んでしまい、歪んだ情報がマーケットに出回るようになると、割りを食うのはユーザーだ。長期的にはOdooの競争力も削ぐだろう。おそらく見えないかたちで。

この状況はOdoo社のマーケティング担当者とかアカウントマネジャーでどうにかできることでもないし、おそらく問題意識を持っている人もほとんどいない。皆さんそれぞれ自分の持ち場で一生懸命やっている。業績も伸びている。問題意識など持ちようもない。

むしろコミュニティ活動を忌避する人たちがビジネス側にいてもおかしくない。OSSの便利機能、特に企業版の機能と重複するものは企業版の訴求効果を相対的に落とす。コミュニティの機能はOdoo本体を補完すべく作られるわけだが、局所的には利益相反の状況も出る。

だからこそ大局からエコシステムを語って理念を浸透させるようなことが必要なのだと思うのだけれど、Odoo社から発せられるメッセージはなんだか薄っぺらいと感じることが多い。「エコシステム」という言葉を使っていてもコミュニティのOSS活動の側面がなおざりにされているからだ。

このあたりの肌感覚は生き残りや理想の追求のためにコミュニティ活動に賭けてきたようなプレイヤーでないと持てないのだろう。Odoo社の経営レベルでOSSエコシステムとの向き合い方を見直してほしいという願いはあるが、よほどの事件でもない限りそんなシナリオは期待できなさそう。

そうすると、非力ながらも自分でコミュニティ活動を促す方向に情報発信していくしかないよなと思っている。自分の考えが主流でないことは分かっている。ビジネスとしてもっと「オイシイ」やり方もあるだろう。でもそこを目指して起業したのではないのですよね。どうカルチャーを作っていけるか。

ちなみにOCAのコミュニティ活動の中心はヨーロッパだ。特にスペインなど非常に活発。これはOdoo社が企業版で「成功」する前にコミュニティ活動の土壌を作ってしまったことが大きいのだと思う。日本には残念ながらそれがない。さて、どうなるものか。数年後に答え合わせだ。


元ツイート:

Photo by Chris Barbalis on Unsplash

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Yoshi Tashiro (QRTL) 2023年12月16日
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